>>かおりちゃんの信行日記

第13回 回向の心の巻

待ちに待った夏休み。
かおりちゃんにとっては楽しい夏休みのはずなのですが、今日のかおりちゃんは宿題の読書感想文の本を探す為に図書館に来ています。
「あーぁ、まんがの読書感想文ならいくらでも書けるのになぁ」
なるべく薄くて字の大きい本を探そうと一生懸命本棚を見ていると、一冊の本が目にとまりました。
「『日本の空襲』?」
かおりちゃんは去年、お母さんから現在の京橋・OBPにあたる場所で終戦の前の日に大きな空襲があり、たくさんの若い人が亡くなり、その人たちの為に【戦没者慰霊平和祈念法要】をお寺でさせていただいているという話を聞いたことを思い出しました。
かおりちゃんは今まで戦争の話を聞いたり、映画を見たりしたことはあります。
だけど、それはそういう場があっただけで、自分から戦争について知ろうとしたことはありませんでした。
かおりちゃんは『日本の空襲』という本を手にとって読んでみました。

大阪……敗戦前日にも大空襲
日本一の商業都市・大阪は、1945年(昭和20年)1月から敗戦の8月までに28回の空襲を受け、死者1万人あまり、消失家屋31万戸、罹災者113万人の被害を出した。(中略)
6月1日朝9時前、多数の艦上機を伴うB29、400機以上が来襲(戦爆連合といった)。焼け残った港湾地帯(港区、大正区、此花区)を空襲。ついで7,15,26日とほぼ一週毎に工業地帯が爆弾に見舞われ、7月にも続いた。
8月、敗戦の日の前日の14日、大阪陸軍造兵廠が空襲され、すぐ近くの環状線京橋駅も爆撃を受けた。駅には死者の肉片が飛び散り、すさまじい光景となった。

証言・大阪大空襲
森田民子さんの場合(当時国民学校四年生)
空襲がおさまり、残った家族は、父達を探した。町会の大きなモデル防空壕をあけてみたところ、父達の遺体が発見された。
壕の中にいた38人が全滅していたのである。その中には六人家族全員が亡くなった家もあった。
父は壕の入り口で全身真っ黒焦げになり、一番先に発見された。お腹の部分だけが焼け残り、腹巻きに入れてあった労務手帳と、それにはさんであった一枚の写真で、父を確認することが出来た。その他、お金も100円あまり出てきた。
姉は防空壕の奥で、布団や東だのネーム入りのトランクと共に発見された。顔はずるむけで、蒸し焼きになっていたが、五体はあった。女の身だしなみか、ハンドバッグに化粧品を入れて持っていた。私はそのハンドバッグを姉の形見と離さなかったが、6月1日の空襲でそれも焼けてしまった。
弟は、とても口に出せないほどのむごたらしさで死んでいた。彼は窒息したのであろうか。片足は無く、首も取れていた。壕の上に直撃でも落ちたのか。なんの罪もない小さな命を……。

かおりちゃんの頬を一筋の涙がこぼれました。
家族がこんな悲しい結果になって自分だけ残されたら……、暗く狭い壕の中で自分が死んでしまったら……。
一体どれだけの悲しい思いが、この戦争で生まれたのでしょうか。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……」
かおりちゃんは心の中でお題目をお唱えしました。
どうしてだけ分からないけれど、自然と心の中にお題目が出てきたのです。
その気持ちが【回向】になるとまだかおりちゃんは気づきません。
けれど、日々のご信心の中で、自然とその気持ちが育まれているのでした。


(参考文献:早乙女勝元・土岐島雄編 『母と子で見る日本の空襲』)

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